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保守と反左翼

2010年11月29日 (月)

早く保守になってもらうことを切望する

本日、先人に学ぶ会 第1回 「三島由紀夫に学ぶ」だった。第1回目から、いきなり保守の本質に迫る内容だった。

一昨日私は、政治ブログランキングの右派系ほとんどのブログが、反左翼、反中反韓反朝なだけで、保守ではないと書いた。アンチ巨人という言葉があるが、アンチ巨人の人たちは、巨人が負ければ喜ぶだけの人たちを指す。それと同じだ。左翼を貶すことをもって保守になったとはいわない。保守とはアンチな思想ではない。このブログを始めてから、ずうっと、そのことばかり書いてきたが、私の説明能力が乏しいせいで、伝わらない。

で、彼らはなんなのか?「サヨク」である。昔、小林よりのりが作った言葉だが、サヨクというのは、思想的な左翼ではなく共産主義者でもなく、自分が薄められた左翼思想であることに気づかない人たちのことだ。簡単に言えばアメリカニズムってとこだ。

サヨクか保守かは、少し読めば、すぐ見分けがつく。保守のつもりの多くの人たちの無意識下でもアメリカニズムが行き渡り、洗脳支配がされている。だって皆さん特定アジアと違ってアメリカには無防備でしょう? とはいえ、私も戦後生まれである。昔から保守の系譜でありたいと切望しているのだが、往々にしてサヨクの部分が残存している。

保守だ保守だというからには、保守とはなんなのか、私は言わねばならぬだろう。保守を説明しようとして、これまでも四苦八苦してきた。私の記事は殆どそれを現そうとしているのだが、今でも勉強中であり、未熟なのでなかなかうまく書けない。とにかく底が深いのだ。

保守だというからには、何かを守らねばならない。何を守るのか? 自称保守のサヨクが言うように、単なる「国土」や「生命財産」でないことは確かである。これを失ったら日本人で無くなるというものは何か?

それが今日の「三島由紀夫に学ぶ」でもある程度話題になったのだ。私がそこにつけたして書いてみる。

「日本の悠久の歴史の連続性の中に自分があると認識し、自分個人の命や安穏とした幸福感の達成のよりも、悠久の歴史の連続性にこそ生命尊重以上の価値を見出し、先人たちが血と汗で紡いできた歴史の中で永い時間をかけて少しずつ堆積していった伝統を守ろうとする態度である。」

だって日本人の頭の中身がアメリカ人と同じなら、国籍は日本だろうが、もう歴史の連続性の中にいる日本人ではない。

「保守的である」とは、その判断基準をサヨク主義お得意の個人的自由や技術的合理といった、根拠が希薄な人間理性の産物に依拠するのではなく、歴史の産物としての伝統に依拠しようではないかと構えることに他ならない。

保守すべきは日本人の成立根拠となっている国民精神だ。保守思想が保守しようとするのは、実体そのものではなく、そこに保蔵されているであろう「精神の形式」の方だ。

こうしたことは何百回と書いてきたが、一部の方を除き、ほとんどの人は理解できず、アメリカナイゼーションされた脳ミソで、目にみえるモノを保守することが、あたかも保守であるかのような論旨を日がな宣っている。

それは何も保守主義じゃなくたって、頭がパープリンなオネエさんでも成人式には着物は着るだろうし、左翼のオジさんでも正月には初詣に行き、神さまにお願いぐらいはするだろう。もっと言えば、仮想敵国の核弾頭や潜水艦の数を数えたり、戦力を分析したりする専門人の書く論文をありがたがって読んでいる唯物主義者もそうだ。

さらに踏み込んで言おう。「我が国は自由と民主主義を愛するアメリカと価値観を同じにする国だ。」なんて言ってる人もそうである。私だって自由と民主主義を愛さぬではないが、もう一方で秩序の全くなき自由は愛していないし、民主主義の成れの果てである衆愚政治など愛せるもんじゃない。そして、アメリカの自由と民主主義の意味と日本の意味は違う。日本にも昔から自由と民主主義はあった。信じないと言う人は、聖徳太子の十七条の憲法をご覧あれ。

三島由紀夫は伝統を「精神の形」であると言った。恥ずかしながら本日初めて「檄文」を通読してみた次第だが、三島由紀夫もこう言ってる。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。」

戦後日本は魂の空白状態である。先人の魂は浮遊し行く先をなくしている。本来であれば先人の魂は今に生きる日本人の中に入り、過去と未来をつなぐであろう。先人の栄光も挫折も民族の記憶として伝達されるだろう。

世界に名高い特攻隊は民族の記憶と、この国民精神があったから死地に赴けたのだ。日本軍があんなに強かったのもそう。しかし、今は違う。過去をなくした者は未来をも失う羽目になる。

日本再生の鍵はこの国民精神の復興である。これがなければ再生はない。ただのアンチだけでは心棒がないし、オツムがメイドインアメリカの洗脳頭では、本質とはズレたことばかり言う。こんな者たちに維新してもらうぐらいなら、できもしないだろうが、万が一、成功した暁にはエライことになる。保守の論理からいって、今のままの方が余程いいわけである。

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2010年11月28日 (日)

愚民より管首相の方が理屈が通っている

さきほどの続きを書こうと思ったが、面白いニュースがあったので、続きは明日にしよう。

【菅首相「支持率1%でも辞めない」=鳩山氏と会談】

【菅直人首相は27日、都内の中国料理店で民主党の鳩山由紀夫前首相と昼食を共にしながら約1時間半会談した。首相は内閣支持率の急落に関し「(支持率が)1%になっても辞めない」と述べ、引き続き政権運営に全力を挙げる決意を示した。鳩山氏は挙党態勢構築の必要性を強調した。云々。】


これに対し、反左翼や自称保守たちは、「民主主義に反している」とか言っているが、これに関して管首相は正しい。

だって鳩山内閣も管内閣も当初は70%超え、多分今は30パーセントくらいだろう。9月から11月まで2ヶ月しか経ってないのに、40%も行ったり来たりするその馬鹿さ加減、マスコミの流行に合わせて意見を変える馬鹿さ加減、そもそも考えてもいないのだろうし、人と同じことを言っておけば、マスコミが言ってる意見がみんなの意見だろうからなんて、考えもしないようなことを世論調査で答えているわけさ。

こんな当てにならない害毒だらけの世論調査に政治が左右されてなるものか!というわけだ。だって日本は間接民主制なわけで、世論調査の結果が政治に直接の影響を与えるのは、直接民主制というものだ。こんな愚民で直接民主制にしたらエライことになる。自民党の首相も、「支持率1%でも辞めない」 と言えば良かったのよ。マスコミが仕掛ける馬鹿騒ぎにいちいち眉間にシワ寄せなくていいわけ。

いつからか政治家が「国民」でなくて「国民の皆様」と言うようになった。馬鹿をおだてると大変なことになるから気をつけた方がいいよ、政治家の皆さん。いや、もう大変なことになってる。今の日本は李朝末期にソックリだから。

今回、右派で「民主主義に反している」なんてコメント出した自称保守の皆さん。あなたたちは、アメリカニズムの虜、GHQの洗脳政策の虜なの。あんたたちがたくさん集まれば、国を変えれるかもしれないが、良く変えることはできない。私が途中から「革命」とか「維新」とか言わなくなったのは、反左翼の自称保守が革命してもロクなことにはならないと思ったから、もうやめたのよ。


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告知だよ!! 私も行くよ!!

【告知】12.04 領土奪還一周年記念 朝鮮学校解体デモ行進


【日時】
平成22年12月4日(土) 14:30集合 15:00出発

【場所】
御射山公園 (最寄:地下鉄四条駅,烏丸駅)
烏丸通りを北に向かって2つ目の信号を東向き。
目印はウイングスの建物。

【生中継】
ニコニコ生放送にて14:00から中継予定
中継先URL未定
※ 緊急の場合は下記スティッカムに切り替えて中継
http://www.stickam.jp/profile/zaitokukai

【現場責任者】
成瀬要平 (在特会 大阪支部長)

【その他】
雨天決行
国旗・プラカード持参歓迎
特攻服など現場にそぐわない恰好はご遠慮ください
撮影が入るため、顔を移されたくない方はファッショングラスか
サングラスなどご持参ください

【主催】
在日特権を許さない市民の会 京都支部

【共催】
そよ風・関西支部/きなの会/WE.ARE?★TEAM-KANSAI

【問い合わせ先】
在特会 京都支部メールアドレス
zaitokukyoto@gmail.com

2010年11月14日 (日)

伝統

知り合いがmixiにこのようなことを書いていた。

「世界には200年以上続いた企業が7000社あり、その7000社の内、インドに3社、中国9社あるんだそうです。ちなみに韓国には全くない。 一応は経済躍進をしているかのような感のある中国は一桁です。 内戦と侵略を繰り返し、王朝が変わる度にこれまでの遺産を否定し破壊する歴史しかもたない国には、歴史ある企業は育たないということです。
さて日本には200年以上の企業は、何社あるか?3000社もあります。7000分の3000ですよ。世界の長寿企業の4割は我が祖国日本にあるんです。 二千有余年、一度も断絶することのない歴史を維持してこれた国にしかできないことです。今は経済不況かもしれませんが、必ず日本は再生します。先人が受け繋いでこられた誇りある祖国を、次代に繋ごうではありませんか。」


そこで私は思い出した。5年くらい前だったか、1000年続く金剛組という宮大工の会社についてテレビでやっていたのをメモしておいたことがある。1000年前といえば、飛鳥時代だ。そこには簡単に真似のできない技術の積み重ねがあった。これが歴史とともに少しずつ堆積していく伝統の重みだ。ここは一時コンクリート業界に入って失敗。代々の戒めとして

1、本業に専念すべし
2、身の丈に過ぎたことはしてはならない。
3、強みのところで勝負する

というのがあるそうな。これは祖先が経験してきた知恵なのであるから、こういう知恵のおかげで1000年続いているのだ。


また、岐阜県の鋳物製造の岡本という会社は創業450年。戦国時代からだ。守るべきものは代々伝わる精神(家訓)

1、番頭制で、若い時に代を変わる。親の目が黒いうちに失敗させるのだそうだ。また2代に1代は養子だそうな。
2、本業に専念する
3、政治には口を出さない

そして、変わっていくべきものとして 「同じものを同じように造っていてはだめ。絶えず時代に応じた商品を開発していく必要があります。」と現社長が語られている。ここだったかな、初めはお寺の鐘を作っていたのは。


これらは国に関しても同じことが言えるんだ。保守するべきもの(変わってはいけないもの)、変わっていくものをしっかり認識していないと、今の日本のように大事なことが溶けて流れてしまって、方向を見失い、ついには、先人たちが汗と血で守ってきた国を失うんだ。情けない。

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2010年11月11日 (木)

原点に回帰すべし

テロは運動ではありません

先日会長は「行動する」という言葉は「敵を殺す」ことだと言われ、覚悟のほどを語られました。あれは覚悟と受け取るべきでありましょう。

私は前に先輩に大真面目に聞いたことがあります。

「例えば、私が逮捕されたりする場合があるとします。その場合、恥ずかしくない逮捕でありたいと思います。恥ずかしくない逮捕とはどのようなものだと思いますか??」

「きっちりとした思想性に裏付けられてれば、恥ずかしくないと思います。」

思想性のないテロはテロとは言わず、単なる人殺しといいます。朝鮮人が悪い、中国人を殺せというアンチの場合は言うまでもありません。

私が思うに、正しい目的のための正しい行動でなければ、後世が評価してくれるはずがありません。伝統精神が豊かであれば、その状況判断に道理がなんとか貫かれるでありましょう。道理とは時代を超えて揺るがぬ価値のことです。 伝統精神や道理や正義や価値について何一つ触れぬままのテロ肯定は、軽卒、残忍の評価を免れません。

思想がきっちりしていれば、覚悟などは簡単にできるのです。説得なき決断、思想なき覚悟は、正気の沙汰ではありません。

私が言いたいのは、行動しなかった従来の保守が行動しだした今、行動する保守の存在理由を示すためには、もう一度、行動する保守運動なら行動する保守運動の、在特会なら在特会の、創業の理念、原点に回帰すべしということであります。やり方は時には過激であろうと過激でなかろうと良いのですが、過激そのものを追いかけるのはよろしくない。

在日特権を許さないということに対して9800人の会員が集まったのです。私もその一人です。その部分で共闘できると思ったのです。共闘の延長線上に逮捕や死があるかもしれないというのは織り込み済みでしたが、一人一殺という思想性を露にするような会であれば、生死を共にできるかもっと吟味しているはずです。私は師匠に言われたなら、明日にもできるとこのブログで言明しています。これには変わりがない。

昨今の行動系全体を鑑みるに、自分に酔いしれて満悦してしまっているようにみえます。「理性なき闘争こそ日本のための○○」などと、おバカがバレるようなことを言っている人もいますが、理性と情念、両方なくては滑稽にしかみえないでしょう。

たしかに、国家の防衛は国民の情念、情熱です。パッションです。しかし、パッションと理性は同時に持つべきです。

チェスタトンの言葉です

「正統は何かしら鈍重で、単調で、安全なものだという俗信がある。こういう愚かな言説に陥ってきた人は少なくない。だが実は、正統ほど危険に満ち、興奮に満ちたものは他にかつてあったためしがない。正統とは正気であった。そして正気であることとは、狂気であるよりもはるかにドラマチックなものである。正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡だったのだ。」

狂気になるのなんか簡単なことなのです。私からの警笛です。

原点への回帰、伝統への回帰、これが保守です。歴史を失った者は未来をも失うのです。

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2010年11月 2日 (火)

日本には保守思想がない、敵の敵は味方の論理しかない

私と同じ頃、副会長になった方たちがいる。お会いしたことがあるが2人ともなかなかの人物だ。そりゃそうだろう。自分の都合のいい時だけ喝采しまくって、逮捕だのなんだので自分の都合が悪くなると蜘蛛の子を散らすようにいなくなる人たちじゃないんだから。

で、その北海道の方のブログを最近チラチラ見るようになった。ちょっと驚かれるのだが、いつも私がネットを利用するのは、このブログとmixiとハンゲームの花札ぐらいなもので、在特会のHPだって見ていなかったのであるから(それでこの前叱られたが)この方のを見るのは私にとってはめずらしいことになる。

ある日面白い記事を見つけた。フリーチベットと唱えれば保守思想であるか


私はこれにほとんど同感だ。反共、反中国、反朝鮮、反左翼は保守とは何にも関係ないのである。アンチな気分が強いだけで、自分が何者かということもわかっていないし、独立精神もないのであるから、敵の敵は味方の論理で、親アメリカ、親チベット、親保守となるわけだ。ところが親○○になるだけで、依然として自分が何者かということはわからないだろうし、独立精神もないだろう。

なんかね、混沌とした民族に成り下がってしまったね。やだね。

明治になって「文明開化」=西洋化をひた走り、12年経ったある日、明治天皇はこう述べられた。

「近頃の世情を察するに、いたずらに洋風に馳せて独立自尊の念なし、例えば、洋人論語を良き書なりと唱ふれば直に取りてこれを読み、また悪しき書なりと言えばこれを捨つ、あたかも愚夫•愚婦が争ひて流行の稲荷に参詣するがごとし。」

また同年、各県の学校を巡覧し、親しく生徒の学業を視察された折に、

「例えば農商の子弟で、その発言が高尚な空論に終始する者がいる。甚だしきに至っては西洋語が達者であるにもかかわらず、それを日本語に訳すことができない。こういう学生は卒業後、家に帰っても再び本業に就きにくい。高尚の空論では、公職に就いても役に立たない。それどころか博聞を誇って目上を侮り、県の官吏を妨げる者となるに違いない。」と。

そしてこの頃から若者に伝統への服従を強いるために教育勅語へのルートが引かれた。

以上、ドナルド•キーン「明治天皇」より

現在の保守陣営にもいろんな人がいる。まず95%が保守派でもない民族派でもないタダのアンチ。アンチは憂さ晴らしすれば気が済むのだから、アンチな運動に出て来て憂さ晴らしすれば気が晴れる。アンチにしかなれないような教育しかしてないんだ、日本は。はやく明治から現代に続く欧化を反省し教育勅語を復活せい!


2010年9月28日 (火)

「保守」という言葉を否定するのは感情論でしかない

自分は保守ではないと言う皆様へ

「行動する保守運動」を否定して「行動する運動」「行動する社会運動」と名称変更した人たちのことです


ネットのあちこちで、「保守」という言葉に対し、完全にナメきった言葉使いがされている。仲間によってである。

保守運動をしているにもかかわらず、保守という言葉を否定するなら、自分は何者かをはっきり示してから否定するのが筋だ。

保守じゃないと言うなら、一体なんなのだ??? 結局、説明し得ないから運動が混乱するに至っているんだろう。思想的に束ねていないから、好き嫌いで集まるんだ。好き嫌いというのは感情で、変わりやすいのだ。今日は好きでも明日は嫌いということが起こる。

自警団?? 自警団なら一本筋の通った考えは不要である。

倒錯した言葉を使う者は、倒錯したオツムしかないのだ。もちろんそのような者の元に集まる者も倒錯したオツムの者が集まってくる。

別にケナしたいのではない。「保守」をいちいちケナしているのは君たちなのだ。君らは何者なのかはっきり説明せよ。説明し得ないなら、勉強不足だとはっきり言うべきだ。人を煽動するわけだから、それくらいの責任はあるだろう。逮捕者も出てるのだから。

一貫した考えを持たずに、後から「あれは間違いでした」は済まされない。

2010年8月28日 (土)

ウィンストン・チャーチル

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"If you are not a liberal at 20, you have no heart. If you are not a conservative at 40, you have no brain." That's what former British Prime Minister Winston Churchill once said, anyway. He was right.

「20才までに左翼(革新派)でなければ、情熱が足りない。40才までに保守主義者でなければ、知能が足りない。」


`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!! わはははは!!!!!!!!! (ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ 当たりすぎてる!!!!!! 

チャーチルと言えば、ルーズベルト、スターリンとともにヤルタ会談で日本を無力化する密談をしていた敵国の首相であるが、このおっさん、なかなかの人物だ。ネットを見ていたら、こんな言葉が見つかり、愉快になってしまった。我が師匠は情熱も知能もあるということになる。その他の名言を見てもわかるように、このオッサンは完全に保守主義者である。

『過去のことは過去のことだといって片づけてしまえば、それによって我々は未来をも放棄してしまうことになる。』

『築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。』

『大まかに言えば、短い言葉が最も良い。おまけに古い言葉なら一層良い。』

『金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う。』

「光のすばらしい輝きはその影がなければ存在しえない。人生は一つの全体であって、善も悪もともに受け入れられねばならないのである。』

『最善のものも、過度に走れば、悪い結果になる。』

『私は神に会う覚悟はできている。だが私と会見するという厳しい試練への準備が神の側でできているかどうかは別問題だが。』

『どんなことでも、大きいことでも、小さいことでも、名誉と良識とが命ずるとき以外は、断じてゆずるな。力に対し、ことに敵の圧倒的優勢な力に対しては、断固として絶対にゆずってはいけない。』

『過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。』

『歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちをくり返して、滅びる』


保守とは関係ないが、さらに彼はこうも言っている

「偉大さの代償は、責任である。」

「恐れおののいている間はまだ災いは本格的ではない。勇敢に立ち向かうべき時は、いよいよ手の下しようがなくなった時だ。」

「うちのボンクラ息子よりはマシな奴だよ」(息子の嫁が、フィアットのジャンニ・アニェッリと不倫し、それが報道された時、アニェッリを評して)

「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった」(第一次世界大戦に際して)


「絶対に屈服してはならない。絶対に、絶対に、絶対に、絶対に」

守るべきは金や生命じゃない!親米属国派は恥を知りなさい

真正保守には理念がある。理想がある。世界観がある。

そして、その理念や理想を実現するために、どうしても乗り越えねばばらない壁がある。右翼民族派が言うところの「ヤルタ•ポツダム体制打破」、真正保守が言うところの「戦後体制打破」、安倍元首相が言うところの「戦後レジームからの脱却」である。

大東亜戦争が敗戦となる少し前、ヤルタ、ポツダムで、連合国(アメリカ•イギリス•ソ連)が日本を骨抜きにする政策の密談をした。それが具体的にはGHQの占領政策としてあらわれた。日本人に戦争の罪悪感を植えつけ、民族の誇りと自尊心を奪い、再び米国および連合国の脅威とならないよう、無力化、弱体化、させることを目的としていた。連合国軍が占領政策のかなめとして実施した東京裁判は、戦争行為であり、軍事行動であったと連合国側の人間が言っているという。

そして、現在もまだ戦争は継続中である。戦争は終わっていないのだ。日本はまだヤルタ•ポツダム体制にはめられたままだ。民主党政権の誕生をもって、ヤルタ•ポツダム体制の完成と言ってもよい。

GHQによって占領されるや、日本人は戦争について語るのをやめてしまったばかりか、国のために闘うとか、男らしさとか、あるいは忠孝や祖国愛といった言葉に軍国主義のレッテルを貼り、精神•魂を失ってしまった。日本人は大東亜戦争で掲げた自分たちの正義をやすやすと捨てた罰を、ヤルタ•ポツダム体制の完成をもって、これから受けることになる。

特攻隊は、国家とか民族とか武士の魂といった観念のために死んでいった。ところが、我々の運動の仲間でさえ、「犠牲は少ない方が良かった。死ななくていい方法があった。」などと言う。要するに犬死にだと言うのだ。今の日本人には、特攻隊にどんな価値や意味があったのか想像すらつかない。悲しいことに、特攻隊が「靖国で会おう」と零戦に乗り込んでいった精神が、次の世代にその一片たりとも伝えられていないのだ。観念を取り外してしまえば、たしかに戦争は集団的人殺しでしかない。特攻隊も犬死にでしかない。もっと驚くのは「原爆は終戦を早めた。」と、顔が日本人のくせに、アメリカの論理を堂々と言う親米属国派もいる。救いようがない。(なんで親米属国派のことばかり言うかと言うと、この人たちは大勢の日本人の代表だと思うから)

あのねえ。。。あなたの言っているのはこういうことなのよ。隣家と土地の問題でケンカになり、我が家の正義のために闘って死んでいったお父さんがいます。お母さんは隣家に焼き殺されました。そしてその子供が、「お母さんが焼き殺されたことは、ケンカが治まるのを早めたから良かった。」などと言いますかねえ?? 畜生同然ですよ。隣家にその後拾われて、隣家においしいものを食べさせてもらった。自身の出自を知りながら、カネカネとなってしまったこの子供は美しいと思われますか?? エジプト神話のオシリスは「この世で一番美しいものは何か?」とホルスに訪ねたとき、答えはなんであったと思いますか? 答えは「親の敵をとること」だったそうです。正義にために必死で闘った自分たちのお父さん世代を否定した日本人には、必ずや天罰が下る。

精神という重荷をおろした人間が大事にするのは、肉体的生命と生理的欲求だけだ。モノやカネを愛し、生命が惜しいだの、民主主義万歳だの、我々は幸せになる権利があるだのと言っている男に女は惚れることができないし、そんなお父さんを子供も尊敬することができない。教えてあげよう。そんな男の女房もまた、カネに惚れているだけだ。私はわかる。日本にはもう美しいものはない。

しかし、終戦の詔勅の最後にこう書かれている。

「 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。」

日本国民が敗戦を屈辱としてとらえ、民族の記憶として心に刻み、捨ててしまった正義をもういちど拾い直し、気高さを取り戻さなければ、ヤルタ•ポツダム体制の打破も日本の復興もない。ただ単に「不逞朝鮮人•不逞シナ人は出て行け」とやってるだけでは、単にアンチなものでしかない。我々がやるべきことは、この終戦の詔勅に書いてあるのだ。

先日、親米属国派と議論していた折、私が「カネを一番目に大事とするのは卑しい。カネは3番目ぐらいに重要とするのがいいのではないか?」と言ったら、これに彼らは猛反発した。彼らはカネや生命が一番と尊いとしなければ、猛反発するのだ。金は重要でないなどと言っていないのに、精神主義だなんだとこき下ろした。困ったものだ。もう、日本人はだめだな。日本の伝統精神を受け継いでいない日本人など、守る必要があるのかないのか、伝統精神がないなら、アメリカの51番目の州か、中国の34番目だったかな?の省に立候補した方が早いかと思うが。

ま、とにかくだ。我々の運動は精神復興運動であり、思想運動である。「自分に思想はない」などと威張って言う者は恥を知れ。 思想のない者たちによる保守運動は運動ではない。それは思想性のない「自警団」というものだ。ただ単に「自分たちの安全は自分たちで守ろう。」ぐらいのものを掲げるのであれば。○○自警団とでもネーミングしたらどうだ!?

2010年8月20日 (金)

体制保守のみなさまへ

私は私人として運動をしているわけではないので、インターネットで公人として言葉を発しているつもりだ。いつもグダグダとブログで吠えるのは、保守派と言われる人々には、2種類あると感じるからだ。

まず一つは、思想をしっかりと持ち、先人から受け継いだ、価値があると思われる精神の形式を保守せんと努め、多少の犠牲をはらおうが、自分をもそこに組み込んでいこうとする伝統保守。もう一つは、現在の体制、民主主義や個人的自由、技術的合理を守ろうとする人々。要は自分らの生命と財産を守ろうとする体制保守(考え方・思想としては左翼)。この体制保守が圧倒的に多い。

私はこの体制保守に、もう一歩進んでもらうために、拙くはあるが、ブログを書いているつもりだ。

新しく運動に参加した人があると話を聞いてまわるのだが、ネットで目覚めたという人が圧倒的に多い。私はこれを否定するものではない。初めの一歩である。しかし、この人たちは、昨日まで日常生活の隅々にまで近代思想=左翼思想に漬かって生きていた人たちで、天皇陛下万歳なとと言ってはみるけれども、思考の型や頭の中身は変わっていない。だって近代思想に漬かって生きてきた自分を総括し反省してないんだもん。総括すれば、その次の二歩、三歩が始まるのに。

いつも「国体護持!」と言っている仲間の一人が以前このようなことを言ったことがある。「僕はアメリカの文化は好きなのだ。だってかっこいいじゃん。日本もアメリカのようになればいいと思う。それに、あなたのいうのが保守なら、自分は保守ではない。」 こうぬけぬけと倒錯したことを言ってのけたのだ。。この人にとって、国体護持という言葉は、刹那的な感情であり、ファッションでしかないことが見て取れてしまった瞬間だった。

また親米保守と言われる人も少数いる。今、ミクシィで議論して説得しようと努力しているのだが、これがなかなかしぶとい。親米保守はなぜか経済だ貨幣だとうるさい。戦後、アメリカから与えられた個人的自由と技術的合理が好きで好きでたまらないらしく、団塊世代のオッサンたちに、欲望、感情というキーワードから抜け出させることは、困難を極めるだろう。ここは私も譲れない。だって代表じゃん。なんとか説得せねば。

体制保守に共通しているのは、生命・財産という自分らの都合で運動しており、私人性が強いという点である。

私事と書いて「ひそかごと」と読むがごとく、私人性とは人々から隠された次元にある。感情的な要素が強いのだ。私人性が強いと、良い場合では愛情や好意といったものになるが、悪い場合では嫉妬や怨恨ということも起こる。マスコミもも私人性ばかりをクローズアップするなあ。感情とはうつろいやすいものである。ロジックなき感情は一貫性がなく刹那的で矛盾をはらむものである。

変わって、昔の武士が外国人に尊敬されたのは、彼らは感情や私的な意思を封殺した公人だったからだ。維新の折、欧米を訪れた使節団に外国人が度肝を抜かれたのは、彼らの美しい立ち居振る舞いだったという。

公人性において最も重要であるのは何か??言葉のロジック(論理)である。論理とは言語活動の前提、推論、結論を、できるだけ誰にでもわかるように明示することだ。自分の言論に正当性を裏付けるため論理を駆使するわけだ。

公人性とは、強い意志をもって日本語を可能な限り論理的に駆使し、公の場で自分の出現を示すことである。デモクラシーというのも、一般の民衆が、公人として議論を展開し、決定を下す制度のことに他ならない。公の決定に対し私人性をむき出しにして不平不満をぶつけるだけなら、それは衆愚政治である。

日本の戦後の右派と呼ばれる人は、励ましあったり同情しあったりすることはやってきたけれども、思想営為を積んでキリキリと絞り込んでいくようなことはしなかった。情念のみでやってきた。今の右派だって同じだ。確かな思想がなければ、仲間内の言論はヒューマニズムに流れていくのがオチだ。

ロジックというのは公人として言葉を発する以上、必要不可欠なものである。このロジックが現代日本人に不足しているため、世論がだらしないものとなる。

体制保守よ、まず自分のふがいなさを知ることからすべては始まるのだ。励ましあったり同情したり、みんな仲良くもいいけど、運動内世論もだらしないんだよ。お上が悪いとぶちまけるだけなら左翼と変わらないんだよ。自分たちは同情し合い、悪いのはお上だってかっこ悪いと思わないか? 感情論はやめようぜ。保守派が村の衆じゃダメなんだよ。 君らの意見が人を感化できるとは思わないが、仮に多数の国民を感化したとしよう。結果出来上がるのはヘンチョコリンな人たちによるだらしない国家でしかない。わかんねーだろうがな。言っておくよ。

ま、でも、私はこれまで、どこへ行っても規格外のはみ出し者だったからね。はみ出し者の言うことは、いつかふとした瞬間に思い出してくれさえすればいい。

で、また上から目線と言われそうだ。上から目線というのは、平等主義者の言う言葉だ。それは覚えとけ。

2010年8月13日 (金)

本物の左翼ってのは親米保守のことだ

あのぅ。。

親米保守のうちの代表が、「核武装講演会で西部先生のお話されたことが腹に落ち、とてもわかりやすかった。ひいては親米の件だって、先生のお話を聞けばもしかしたら自分が間違ってるということになるのかもしれない。」と確かに言ったと記憶しているのですが。

赤字してでもやった甲斐があったと小躍りしていたのに、今日代表のミクシィ日記を見たら、ガッカリしてしまった。な、なんと、ふりだしに戻っていたのだ。年寄りってこんなもんかねえ(;;;´Д`)

小さな政府が保守で、大きな政府は保守モドキだと言っている。私があんなに長い文章を打ち込んで何度も説明したのに、1ミリも動いていない。参るわ。もー。ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノちゃんと文章読んでいるのだろうが。心配になる。

この際はっきり教えてあげよう。あのね。

みんな愛国だ保守だといっているけれど、愛国は右、反日は左という構図は日本の特殊の事情によるもので、世界の国を見渡せば、右も左も愛国には違いないんだ。アメリカの左翼でも、いやどこの国の左翼だってイデオロギーに染まっているだけで、愛国者には違いないんだよ。

日本の左翼と言われている連中は左翼の皮を被っているだけで、あれはただの反日。アメリカは歴史もないし、ヨーロッパの近代主義の上澄み液で作られたような国家であるからして、左翼国家なわけさ。それで親米の人たちは、左翼ということになる。日本にいる反日左翼はニセの左翼。親米保守こそが本物の左翼なんだ。

最近発見したのだが、この親米保守といわれる人たちは、保守VS左翼(革新)の構図が理解できず、脳ミソを支配してるのは共産主義VS反共でしかない。共産主義者はもちろん左翼であるけれど、反共というのはアンチなだけで何も意味はない。で、資本主義が保守かというと、こちらも左翼でしかないわけなの。このオッサンたちはこのことがわからないんだよね。師匠が言うには、共産主義VS資本主義、ソ連とアメリカの冷戦というのは、左翼内部の覇権争いだということだ。左翼の定義は愛国倶楽部のブログのほうでも、何度も書いたから省きますけどね。

最初に戻ると、小さな政府が保守で大きな政府は保守モドキだという意見は、完全に倒錯している。

私は言ってるでしょ。小さな政府でもなく、大きな政府でもない。ちょうどいい政府がいいに決まってると。親米も反米も同じ。両方ダメなのよ。