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2010年6月28日 (月)

「いい人」を演じることは指導者としては悪徳の部類に入る

「次のことは絶対に軽視してはならない・・・忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと思ってはならない。」

「謙譲の美徳をもってすれば、相手の尊大さに勝てると信ずる者は誤りを犯すはめになる。」

「必要に迫られた際に大胆で果敢あることは、思慮に富むことと同じと言ってよい。」

「人間というものは、自分を守ってくれなかったり、誤りを質す力のない者に対して忠誠であることはできない。」

「自らの権威を傷つけるおそれのある妥協は絶対にすべきではない。・・・なぜならほとんど常に、譲歩に譲歩を重ねるよりも、思い切って立ち向かっていったほうが、たとえ失敗に終わったとしても、はるかに良い結果を生むことになるからである。もしも、正面衝突を回避したい一心で譲歩策をとったとしても、結局は回避などできないものだからだ。・・・また、思慮もない単なる譲歩策によって示されたあなたの弱味は、味方になりえた人々をも失望させ、彼らを冷淡にさせてしまうだろう。」

「古代ローマ人は、現代の知恵者たちがよく口にする、時の恵みを待つ、という態度を好まなかった。それよりも、彼ら自らの力量と判断力のほうを頼りにしたのである。というのも、時は一切のものをもたらすからであり、それゆえ、善を連れてきもすれば、悪も共に連れてくるものだからである。・・・ローマ人はあらゆる努力を払って、それがまだ芽でしかないうちに、摘み取ってしまうことを忘れなかったのである。将来起こりうる紛争も、芽のうちに摘み取っていれば、対策も容易になる。医療も効果を発揮させるには『間に合う』ことが必要であるからだ。」

「歴史は国家(組織)というものにとって、嫉妬による中傷ほど害をおよぼすものはないことを教えてくれる。そしてそれを放置したままだと、これによる危険が想像を超えて増大することも、教えてくれるのである。」

「慈悲深い君主と酷薄な君主とでは、どちらが良い君主と言えるかという問題だが・・・チェザーレは酷薄な君主と思われていた。しかし、この彼の酷薄さが無法の横行していたロマーニャ地方に、平穏と信頼を回復させたのである。反対に、フィレンツェ人は、酷薄と思われるのを避けたい一念で行動したために、結果としては、ピストイアの街の破壊を放置することになってしまったのである。それゆえに、チェザーレの方がフィレンツェ人よりも、よほど慈悲深かったといえるのだ。
 君主たる者、酷薄だという悪評を立てられても気にする必要はない。歴史は思いやりに満ちた人物よりも酷薄だった人々の方が、どれほど民衆を団結させ、彼らの信頼を獲得し、秩序を確立したかを示してくれる。」

ーーーニッコロ・マキャベリーーーー


世間にはやたらとへりくだっていれば我が身は安心と決め込んでいるような人も多いが、謙譲とは「人」に対して「へりくだりゆずること。また、控えめであるさま。」ではないのだよ。

「この世に存在する事象の全てに意味があり、自分というちっぽけな存在にとって、まさしく神秘と思われる宇宙の原理(神さま)」に対して「へりくだりゆずること。また、控えめであるさま。」なのが謙譲の態度なんだよ。


人の上に立つ者には責任がある。「いい人」だけでは済まされない。確か「いい人」という題名のドラマがあったと思うが、誠実で柔弱で優しければいい人だという日本だけの風潮なんとかならんかね。「いい人」を演じることは指導者としては悪徳である。

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コメント

マキャベリさんは偉い人だったのですね。
知りませんでした。
一つ一つが心に沁み入りました。


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